人類文明の起源は共通、だからこそ改めて「共同建設」に向かう―専門家が寄稿

中国新聞社    2023年10月2日(月) 22時30分

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世界中の人々が同一の事象に感動できるのは、人類そのものと文化の起源が共通するからという。写真は四川省成都市で2023年に開催されたFISUワールドユニバーシティゲームズより。

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北京市内で9月14日から15日にかけて2023年北京文化フォーラムが開催された。同フォーラムの通しテーマは「伝承・イノベーション・相互参照」で、今回のテーマは「優秀な文化の伝承、交流と協力の促進」だった。同フォーラムでは各国の専門家が、さまざまな立場から人類文明観などを披露する。西夏研究や宗教史、言語学などを専門としてサンクトペテルブルク大学で教職に就き、2013年からは中国人民大学国学院西域歴史言語研究所の教授を務めるキリル・ソロニン氏はこのほど、中国メディアの中国新聞社の求めに応じて、自らの文明観を紹介する文章を改めて寄稿した。以下はソロニン教授の文章の主要部分に若干の説明内容を追加するなどで再構成したものだ。

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完全に独立して発展した文明は存在しない

文明の多元性と人類運命共同体は二つの抽象的な概念だが、両者の実質的な内容は、いずれも客観的に存在する現象を支柱とする。

「多元性」とは民族の歴史や地理、言語の違いによって形成されたものだ。「共同体」は人類の起源に遡る構造だ。文明の多元性と人類の運命共同体は現代的な言い方だが、人類には昔から似たような考え方があった。哲学、宗教、文学などの分野は、人の内面の違いを認める一方で、いずれも人の運命の共同性や共通性を強調している。

私は中古史や中央アジアの研究者として、早くから異なる民族間の文化交流の普遍性に注目してきた。すなわち、一つの文明が完全に独立して発達したことはないということだ。最も「隔離された古代文明」であるエジプト文明やシュメール文明、そして「隔離された言語」である古代シベリア語などにも、他の文明との相互作用の痕跡が見られる。借用語が基本的にはないサンスクリット語にも、ごく一部ではあるが外来語が存在する。

提起すべきは、文化交流の範囲が人の生活のさまざまな面に関連していることだ。一部の学者はトルコ語族の中の「建築」に関係する語彙はすべて古代中国語に由来すると主張し、また、古代中国語中の「馬」に関係する言葉はインド・ヨーロッパ語族に由来する可能性があると考える研究者もいる。すなわち、言語学、文学、歴史学、社会学と経済学の研究を通して、豊かな文化交流の痕跡を見出すことができる。現状ではわれわれの知識が不足しているためにまだ解明できていないことも多いが、今後はさらに、さまざまことが科学的に立証されるに違いない。

文化、言語などの交流は文明の混じり合いを引き起こし、さらには融合文化の形成を招いた。融合文化は東洋史でも西洋史でも見られる。例えば紀元前の地中海地域のヘレニズム文化にはギリシャ、エジプト、シリアなどの要素が含まれていた。中華文化が国外に伝播したことにより、周囲のさまざまな民族が中華文明の内容を大量に吸収して、融合文化が隆盛した。

異なる文化を持つ人が、なぜ相互理解できるのか

融合文化が盛んになった主たる原因は、人類の共通性にある。異なる民族にはその特色に違いがあるが、基本的な出所は同じだ。人類の祖先は共通している。世界のすべての言語はある種の「世界語」から生まれたと考える研究者もいる。このような共通の基盤があるからこそ、人は他者の異なる部分を理解し合い、言語を発達させ、コミュニケーションを支障なく行うことができるという考え方だ。簡単に言えば、異なる言語もその基盤は共通の原則に基づいているので、われわれは外国語を学ぶことができ、外国の映画や演劇や音楽に感動できるということだ。

伝統的な中国哲学はすでにこの道理を理解している。儒家が説く「人之初 性本善 性相近 習相遠(人の初め、性質はもともと善である。性質は互いに似ている。後から習うことで互いに遠のく)」は正しい。「人の初め」の部分は、「以下は個別の民族についてではなく人類についての普遍的な言明だ」との宣言でもある。「性相近」は共同体の形成を示す、「習相遠」は文化の多元性を意味する。

この言葉は、共同体が出現し、さらに多様性が存在することを示す。漢伝仏教にも比較的早い時期から「非一非異(一にあらず、異にあらず)」という言い方があるが、実は似たような概念だ。つまり、各種の異なる現象には独特の価値があり、われわれにとって尊重と学習、研究に値するものだ(非一)、さらにわれわれは、その核心的な内容が互いに否定するものではないことを認めねばならない(非異)ということだ。すなわち「多元性」を持つ文明間の交流と融合こそが人類共通の願望の実現だ。

伝統的な中国思想から分かるように、「多」と「一」に絶対的な対立はない。逆に、「多」という状態そのものが「一」であり、「多」はたくさんの「一」から成り立っている。このように、中国の伝統思想における「一は多、多は一」の理論は、「多元性」と「共通の運命」の内容に反映されている。「一」にはそれぞれの具体的な価値や意味があるが、多くの「一」に共通する「理」を否定せず、共通の「理」は個別の「一」を支持するするという独特の考え方だ。

われわれはこれらの思想をできるだけ早く体得し、それを人間の相互交流の指針と基礎とする必要がある。昔の人はとっくにこれらの道理を知っているのだから、われわれもその道を学ばねばならない。

人類の文化には、昔から運命を共に築くという前提があった。文化の伝統は一貫している。すなわち古代文化の内容には、今の時代を生きるわれわれが理解して学ぶ価値がある。人類の共通の起源はすなわち「共通性」であり、われわれの「共同建設」の前途を示している。「尊重」とはすなわち、「共同建設」の過程であり、調和と融合の形態を代表する。人類の文化の伝承は絶え間なく続いてきた。だからこそ、昔の人ができたことは、われわれにもできるのだ。(構成 / 如月隼人

※記事中の中国をはじめとする海外メディアの報道部分、およびネットユーザーの投稿部分は、各現地メディアあるいは投稿者個人の見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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