中国新聞社 2023年11月12日(日) 21時30分
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明代に建てられた青海省の貴徳県にある文廟や玉皇閣(写真)は、チベット高原では珍しい「儒・仏・道」のいずれをも祭る古建築群だ。それらの建築様式については「日本と同様の現象」が見られるという。
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明代に建てられた青海省の貴徳県にある文廟と玉皇閣古建築群は、チベット高原では珍しい「儒・仏・道」のいずれをも祭る古建築群であり、中国北西地区で現存する最も完全な古建築群の一つでもある。また、これらの建築群には現地ではなく当時の中国中央、すなわち中原の建築様式が見られるが、このような文化の現象は中国国内だけでなく、日本や朝鮮半島、東南アジアでも発生したという。青海省文物(文化財)考古研究所文博研究館員で古建築を専門とする張君奇氏はこのほど、中国メディアの中国新聞社の取材に応じて、貴徳文廟や玉皇閣についてと、それらの古建築群を巡る文化の状況を紹介した。以下は張氏の言葉に若干の説明内容を追加するなどで再構成したものだ。
【その他の写真】
貴徳の最初に中原の王朝の版図に組み入れられたのは漢代でその後はチャン、吐谷渾、吐蕃、中原と、さまざまな政権に支配された。明は西暦1374年に貴徳古城を築き、1592年に玉皇閣が完成した。その後明朝から清朝にかけて、文廟と玉皇閣の古建築群では拡大、焼失、再建が繰り返された。近現代に入ると、古建築群は転用され、一部の建物は解体されたが、幸いにも主要な建築物はほとんど保存されている。1980年代以降は政府の交付金と地元の人々の募金による補修により、この壮大なスケールで紆余曲折を経た古建築群が残ることになった。
建築群の筆頭である玉皇閣は「宮観」と呼ばれる典型的な道教の建物で、上、中、下の3層の楼閣だ。各層ではそれぞれ「天、地、人」を祭っている。文廟はこの古建築群の中で最大の単体建築だ。大成殿は儒教の施設で孔子を祭っている。関岳廟は道教廟に属し、将兵が礼拝した場所でもある。貴徳は昔から軍事の要地で、貴徳に赴任する人はほとんど武将だった。玉皇閣の東側にある大仏寺は仏教寺院だ。儒・仏・道の3教にはそれぞれの施設があるが、全体として和やかに溶け合って調和している。つまり歴史上の「三教並存」が、建築物にも反映されている。
貴徳文廟と玉皇閣の古建築群には、特にさまざまな建築技法や風格が採用されている。多くの地方や民族の知恵と技が込められ、各種の美を実現しているわけだ。
貴徳文廟や玉皇閣の建設などを手掛けた職人の多くは地元の出身だった。彼らは長年の実践経験を通して、貴徳さらには青海における建築の方法や様式を確立した。
一方で、中原の建築様式の影響も受けた。例えば玉皇閣の建設に使われたほぞ穴構造の技法は陝西省や山西省から伝わった。
また、関岳廟は道教の廟だが、門の次に通る楼は甘粛省臨夏白塔寺地区の職人によって建てられた。当時は職人の交流があり、彼らはチベット式と漢式の両方の建築になじみがあった。青海省東部のその他の地域の古い建築物、例えば青海滉源城鎮廟の山門、青海平安洪水泉モスクの礼拝殿の軒柱頭には、いずれもチベット建築の影響がある。
貴徳文廟と玉皇閣の古い建築群の「三教並存」は自然に形成されたものだ。現地は漢代から中原文化の影響を受けていた。現地住民は純朴で包容性がある。例えば年越しの際には廟に参詣に行く。玉皇閣、孔廟だけでなく、大仏寺やその他のチベット仏教寺院にも行く。また、現在、貴徳地区には大小17の文昌廟があり、そのうち、河西の文昌廟の参拝者の70%以上がチベット族だ。「文昌」は道教の神だが、チベット族の敬虔な信者がいる。
このような現象が貴徳に現れたのは、青海チベット高原と黄土高原の結合部にあり、地理的に特殊な位置にあるためだ。長い歴史の中で、貴徳を含むチベット高原東部の河滉地区は、従来から西域を調整し、モンゴルとチベットを懐柔する戦略の要地だった。現地では中原文化を主脈として、遊牧文化と西域文化を絶えず吸収して融合し、包容力がある多元的一体型の文化が形成された。
建築についても同様だ。また、建築の職人は宗教施設だけでなく、民間向けの建物も手掛けた。もちろん、宗教関連の建物の方が大規模で構造も複雑な場合が一般的だが、民間の建物と共通点が少なくない。
例えば建物の中の木彫りの図案の一つに、漢式の古い建物でよく使われる装飾である伝説中の八仙人が使う法器を描いたものがある。貴徳文廟や玉皇閣の古建築群にも、青海の民家の中心家屋の軒先にも同様の木彫りの装飾が多く見られる。その由来は、明朝から清朝にかけて陝西省から商人がやってきて、この地で商売をして定住し、さらに廟を建てる職人を招いたことで、中原の建造や彫刻の技術が伝えられたものだと考えられている。
このような多くの宗教文化を融合した建築物は青海省東部で比較的多く見られ、チベット高原を西に進むと、単一または2種類程度の民族建築の様式が併存する廟が比較的よく見られ、多民族文化を融合した建築物群は比較的少ない。
海外では、例えば、日本の奈良東大寺と青海省東部の瞿曇寺は、全体としては異なっているが同様の手法が用いられている。両者とも複層型の屋根や同様の木組みの構造がある。東大寺の本堂と瞿曇寺の隆国殿の回廊部分もよく似ている。両者は「同工異曲」と言ってよいほどだ。
唐が強盛だった時期には、日本、朝鮮半島、東南アジア諸国の外交使節がやってきた。使節と共に大量の留学生が唐に来た。かれらは長安などで学び、見学し、その経験を本国に持ち帰った。それらの国では現在、多くの中国風の建築を見ることができる。日本の東大寺は唐代に建てられた。青海省の瞿曇寺隆国殿は現在の故宮太和殿の前身である明代の奉天殿をモデルに建てられたもので、盛唐時代の建築様式を引き継いでいる。
日本の唐招提寺も、唐の高僧の鑑真によって創建された寺で、鎌倉時代と江戸時代に修繕されたが、それでも中国の盛唐期の建築様式を維持している。特にその本堂は五台山仏光寺の本堂と非常によく似ている。つまり、中国の周辺国に中国の建築様式が導入された。もちろん日本には日本の、東南アジアには東南アジアの建築の伝統様式がある。中国中原の建築様式と地元の建築様式が混在している状況は青海省と同様だ。
中国の古建築は世界の重要な建築体系の一つであり、広くて深い思想や文化を反映している。儒教の建築は「仁義礼智信」の思想を反映し、道教の建築は人々に善行と自然を敬うことを教え、仏教建築は衆生を哀れみ「善」を重んじることを伝えた。異なる宗教や文化、思想は対立するのではなく互いに補完し合い、人々の精神性を高める相乗効果を発揮してきた。その象徴の一つが建築物だ。(構成 / 如月隼人)
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