京杭大運河が実現したのは中国国内の物流だけではなかった―中国メディアが紹介

中国新聞社    2023年11月22日(水) 20時30分

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北京と浙江省杭州を結ぶ京杭大運河(写真)は中国の南北を結び付ける、歴史上の壮大な物流ルートとして知られる。しかし、この大運河が運んだものは物資だけではないという。

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北京市内で13日から14日にかけて、北京(国際)運河文化祭の一環として、中国内外からの出席者が北京と杭州を結ぶ京杭大運河(以下、「大運河」)をめぐって語り合う「京杭対話」が行われた。中国メディアの中国新聞社は「京杭対話」の特集ページを設け、さらに京杭大運河を改めて紹介する文章を発表した。以下は同文章に若干の説明内容を追加するなどで再構成したものだ。

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大運河は中国の形成と維持に貢献した

時間軸から見るならば、大運河は2500年もの歳月を経てきた。建設が始まったのは春秋時代(紀元前771年-同453年)で、完成したのは隋代(589-618年)だった。2000年以上の長い歳月の中で、大運河をめぐる歴史は実に重厚だ。大運河の周囲には無数の文化遺産が残っている。そして大運河自体が、今も流れる生きた文化遺産だ。大運河は未来に向けて流れている。

空間軸で見るならば、大運河は総延長が2500キロの世界最長の人工運河であり、中国の東西南北の社会や経済、文化の差異を調整する大動脈だった。英国人歴史家のアーノルド・トインビーは大運河について「古い中華文明が五千年も断ち切られていないことを確保した」ものであり、中華民族の持続的発展を支える基本遺伝子であり戦略資源であり、多元的な中国文化の光景を構成し、国家の盛衰を担った「運命の川」だったと評した。

大運河の文化を理解するキーワードでは開放と包容だ。大運河については「兵と民が長く雑居し、半分は呉の歌を理解した」という言い方がある。まさに各地域の人々が大運河に乗って四方に流れ行き、そのことで南北の文化が融合した。

例えば中国を代表する伝統劇の一つである京劇の形成にも、大運河は強くかかわっている。京劇が成立したきっかけは、安徽省の地方劇団である徽班が18世紀に北京に進出して公演を成功させたことだった。徽班は故郷の演劇をそのまま北京に持ち込んだのではなく、大運河を北上しつつ沿岸各地の音楽を取り入れて、最後に北京で公演を打った。つまり京劇はその発生時から、大運河の恩恵を受けていた。それ以外にも中国の南北の芸能の融合には「北楽南伝」や「南楽北漸」と言った言い方がある。大運河を通じて北の音楽が南に伝わり、南の音楽が北に徐々に伝わったということだ。絵画や彫刻でも同様の現象が発生し、交流と融合によって完成度が高まった作品が、「中国を代表する芸術品」のに一つとして海外にも伝わることになった。

皇帝の住居であり中央政府であった紫禁城についても「大運河を流れてきた」との言い方がある。建材や各種の宝物も、さまざまな地方で産出あるいは制作されたものが、大運河を利用して運ばれてきたからだ。大運河があったからこそ、広い中国の各地から、紫禁城に最もふさわしい物資を集めることができたと言える。

大運河は中国と世界を結ぶ通路の一部だった

大運河は中国国内の南北の文化交流の絆だっただけでなく、中華文明と世界をつなぐ懸け橋でもあった。大運河は陸のシルクロードと海のシルクロードを結びつけ、ユーラシアの文化交流の大通路になった。つまり大運河は、自らの総延長をはるかに超えて、中国と世界全体を結び付ける機能を果たした。

日本人僧侶の円仁(794-862年)は仏法を求めて唐に渡った。円仁が残した「入唐求法巡礼行記」には、大運河を利用して北上したことが記録されている。日本と明が勘合貿易を行っていた15世紀から16世紀にかけては、両国の使者が大運河を航行中に詩を詠んだ。中国と日本の交流史の中で、不朽の作品が生み出された場所が、大運河だった。

イスラム教の開祖のムハンマドの16代後の子孫だったプハーディンは、運河を利用して揚州に行き、亡くなるまで10年間にわたりイスラム教を布教した。そのことでイスラム文化と中華文化の融合が促進され、運河の沿岸にはプハーディンが伝えた様式の庭園が多く作られた。

イタリア人のマルコ・ポーロ(1254年ごろ-1324年)は元の都の大都(現在の北京)から大運河を利用して南下した。ポーロの「東方見聞録」には大運河で目にした光景が美しく、沿岸では物産が豊かであることが書かれている。イタリア人宣教師のマテオ・リッチ(1552-1610年)は北京に2回来たが、いずれも大運河を利用した。

大運河は2014年にユネスコの世界文化遺産に登録された。古今を貫き南北を結んできた大運河が、新たな歴史の出発点に改めて立ったことになる。われわれは大運河の新たな時代の活力を奮い起こし、先人の偉業を受け継いで後世に残さねばならない。そのことを通じて改めて洋の東西を結び、中華文明と世界との対話と相互参照を推し進めていく時代がやってきたと言うことだ。(構成 / 如月隼人


※記事中の中国をはじめとする海外メディアの報道部分、およびネットユーザーの投稿部分は、各現地メディアあるいは投稿者個人の見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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