誰も触れてはならぬ、北朝鮮で後継者の話は野暮

北岡 裕    2024年1月5日(金) 23時10分

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北朝鮮で最高尊厳についての話題に触れるのは想像以上にリスクが大きい。写真は09年4月、デビュー前の金正恩総書記の現地指導写真(2013年撮影)。

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金正恩総書記の娘、金ジュエ氏とされる女性への注目が集まっている。すでに「朝鮮の新星 女将軍」と呼ばれているとの情報もある。

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「私のピョンヤン訪問記 2009年夏 快適な共和国旅行の仕方」(金日宇・金淑子著 一粒出版)に金正恩総書記公式デビュー前の興味深い内容が書かれている。

著者の金日宇氏が初めて金正恩総書記の名前を聞いたのは2009年8月28日。平壌の万景台にある金日成主席の生家でのこと。

ところで朝鮮語にはウの音が二つある。当時日本のマスコミ各社は、金正恩総書記の名前は金正雲、あるいは金正運ではないかと推測していたが、金正宇氏は万景台のガイドの説明を聞き、雲と運のウンとは違う音のウンではないかと気づく(その後それが正しいことが明らかになる)。ウの音が一つしかない日本語の使い手には朝鮮語のウンの音は区別しにくい。そしてその時に金日宇氏が話を聞いた平壌市民の間でもどちらのウンか分かれていた。

どちらのウンかは分かれたが、平壌市民からは「青年大将」「白頭の血統」「先軍霊将」などの尊称も聞かれたという。

青年大将という言葉には思い出がある。私は金正恩総書記が公式デビューした直後、2010年10月に平壌を訪問している。案内員がサプライズで取ってくれた銀河水管弦楽団のライブ会場で「親愛なる指導者金正日同志と尊敬する金正恩青年大将同志におかれては―――」というアナウンスがあった。驚いて思わず横に座る案内員の顔を見ると、「聞きましたね?それにしても持ってますね」と笑顔でうなずいた。この訪問にはいろいろと幸運な出来事があり、彼には「持ってますね」と折に触れて言われたのだが自分でも驚いた。その後すぐに青年大将同志という尊称は聞かれなくなった。

「パルコルム」(歩み)という歌は決定的だった。「ザッザッザッザッザッ 歩み われらの金大将の歩み」と始まるこの歌には「2月の精気」「2月の気象」「2月の偉業」と2月という言葉が頻繁に出てくるが、この2月とは金正日総書記の誕生日2月16日を指している。金大将とは誰か。当時すでに金正日総書記は元帥だったから、大将は金正日総書記を指す表現ではない。つまりこれは後継者のことを指す歌に違いない。しかしこの歌では金大将止まり。下の名前、金正恩総書記のフルネームは明らかにされなかった。

金ジュエ氏の名前は、金正恩総書記とも親しく実際に面会した元NBA選手のデニス・ロッドマン氏が伝えた。ジュエという名前は金正恩総書記夫人の李雪主(リ・ソルジュ)氏の「主」と「愛」で「金主愛」ではないかと個人的には思うのだがはっきりしない。金日成主席の後継者である金正日総書記は日の字を継いだ。金正日総書記の息子の金正恩氏、金正哲氏、金与正氏は正の字を継いだ。だから恩の字を継ぐのが自然ではと思うのだがどうだろう。

そもそも金正恩総書記の現地指導に同行するあの女性が金ジュエ氏、もとい金主愛氏とは確定していない。北朝鮮・朝鮮民主主義共和国の公式報道で「愛するお子さま」から「尊敬するお子さま」へと表現がランクアップしたことは注目に値するのだが。

2013年に訪朝した際、ある同行者が金正恩総書記の子どもに、とおもちゃを買っていた。いろいろな外国語で簡単なあいさつをする犬の縫いぐるみだったのだが、その際にその同行者は「金正恩総書記にはお嬢さんが2人いるんだ」と話していた。

金ジュエ氏以外に男子がいるという話もあるが、通底しているのはともかくすべてはっきりしないということだ。

金正恩総書記もまだ40代とされる。後継者を決めるには早い気もする。事実、金ジュエ氏の姿は非常に幼く見える。そもそも金正恩総書記の誕生日は1月8日で合っているのか。生年月日はいつ、現在の年齢はいくつなのかも不明だ。

訪朝の際に詳しく聞いてみたくなるのだが、金ジュエ氏、金正恩総書記はじめ最高尊厳についての話題に現地で触れるのは想像以上にリスクが大きい。そもそも話したがらないし、警戒される。心象も良くない。まさに好奇心は猫を殺すということわざ通りの反応が返ってくる。

右から首領福、将軍福、太陽福と書かれた石柱。太陽福が金正恩総書記を指す(2013年撮影)

平壌駅前にピョルムリ・カフェというおしゃれなカフェがある。北朝鮮の国産チーズで焼いたピザが人気で、当時のブラジル大使がお気に入りの店だった。ブレンドコーヒーを飲みながらカフェの女主人と話をしていたら、ちょうど話題になっていたブラジル大使が入ってきた。案内員が「本当に持ってますねえ」と笑いながらあごをなでた。

2010年の訪朝時、ここでもう1人の案内員に問い詰められた。「なぜ日本から来る人は、あなたに限らずわが国の最高指導者についてとやかく言うのか。問うのか。詮索するのか」と。

ここでミッテラン元大統領の話をしたのが悪手だった。「例えばフランスのミッテラン元大統領は、生年月日、婚姻歴、家族、過去に愛人との間に子どもがいたことさえ明らかになっている。そこまで関心を持つのはさすがに野暮だと思うが、やはり分からないものに関心と好奇心を持つのは人として自然ではないでしょうか」。

納得できないのはもちろん、憤まんやる方ない様子でその案内員は言った。「放っておいてください!」と。それはゲストである私に対しての言葉遣いではなかった。

さすがにムッとした。もう1人の案内員が私たちをとりなしたが、場の空気はすっかり冷え込み、せっかくのコーヒーも再び口にした時にはすっかり冷めていた。

指導者の名前も、後継者の存在も、生年月日も分からない隣の国。私ならずともそこに好奇心を覚え想像を膨らますのは自然と思うのだが、北朝鮮においては野暮天。誰も触れてはならぬ―――。私は湧き上がる反駁を抑えるように、冷え切ったコーヒーを飲み干したのだった。

■筆者プロフィール:北岡 裕

1976年生まれ、現在東京在住。韓国留学後、2004、10、13、15、16年と訪朝。一般財団法人霞山会HPと広報誌「Think Asia」、週刊誌週刊金曜日、SPA!などにコラムを多数執筆。朝鮮総連の機関紙「朝鮮新報」でコラム「Strangers in Pyongyang」を連載。異例の日本人の連載は在日朝鮮人社会でも笑いと話題を呼ぶ。一般社団法人「内外情勢調査会」での講演や大学での特別講師、トークライブの経験も。過去5回の訪朝経験と北朝鮮音楽への関心を軸に、現地の人との会話や笑えるエピソードを中心に今までとは違う北朝鮮像を伝えることに日々奮闘している。著書に「新聞・テレビが伝えなかった北朝鮮」(角川書店・共著)。

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※本コラムは筆者の個人的見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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