<サッカー>ガンバ大阪でプレーした賈秀全氏、日本サッカーの発展を語る=「中国とは全く違う」

Record China    2024年1月19日(金) 17時0分

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かつて日本のガンバ大阪でもプレーしたサッカー元中国代表の賈秀全(ジア・シウチュエン)氏(60)がアジアや日本のサッカーについて語った。

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かつて日本のガンバ大阪でもプレーしたサッカー元中国代表の賈秀全(ジア・シウチュエン)氏(60)がアジアや日本のサッカーについて語った。中国のサッカーメディア・足球報が伝えた。

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アジアサッカー連盟(AFC)の招待を受け、現在カタールで開催中のアジアカップ決勝を観戦するため現地入りした賈氏は、足球報の取材に「招待を受けられて光栄だ。私個人のキャリアを認めてもらえただけでなく中国サッカーの歴史への敬意だと考えている。私は最近、いつも昔のことを懐かしく思い出している。あの時代に生まれることができて感謝している。軍人でありながらサッカーをさせてもらえた。全ての栄誉の裏には国の応援と育成があり、その時代のシステムが私たちの栄光を作り出した」と語った。

また、「当時(1980年代)、アジアで一番強いチームはどこだったのでしょうか?最も印象に残っている選手は?」との質問には、「あの頃最強だったのはイランだ。身長があり、技術もあって、個人としてもチームとしても力があった。イランに勝つのは本当に難しかった。韓国も強く、突出した選手が多かった。イランほどではなかったがアジアトップレベルだった」とする一方、日本については「それほど強くはなかった。日本と対戦する時は(勝利する)自信があった」と回答した。

印象に残る選手には韓国のキム・ジュソン(金鋳城)を挙げ、「彼は韓国人選手らしくなかった。当時の韓国人選手はフィジカルやスピードはあったものの技術はあまりなかった。しかし、彼はその全てを持っていた。最も重要なのは頭が良く、フォワードもサイドバックもこなせたことだ。私が見るに、今でいうソン・フンミンのような選手だ」と評した。


続いて、「80年代、中国チームは日本チームを見下ろしていたが、今では日本を見上げることしかできない。なぜでしょうか?」と問われると、「いや、それは違う。私たちが当時日本のサッカーを見下ろしていたとは言えない。あの時代の私たちにはサッカー体系があった。日本のプロサッカーはまだ発展しておらず、代表同士の対戦で私たちがある程度優勢だっただけだ」と語った。

また、「中国と日本のプロリーグがスタートした時期はほぼ同じだと言う人が多いが、実際はそうではない」とし、「日本サッカーの根幹の奥深さはわれわれよりもある。彼らは高校サッカー選手権大会を102回も開催している。プロ化の前には10年の準備期間を持ち、人材の吸い上げや育成、野球との競争、海外の有名監督や選手の招聘(しょうへい)などで熱を高めた。彼らのプロリーグは十分な準備の下で始動したのであり、“手探りで川を渡る”われわれとは違う。だから、その後の発展速度が全く違うのだ」と指摘した。

そして、「今回のアジアカップ決勝は日本と韓国になることを期待している。長い年月を経た彼らがアジアトップの大会でどのような戦いをするのか見てみたい」と語った。(翻訳・編集/北田

※記事中の中国をはじめとする海外メディアの報道部分、およびネットユーザーの投稿部分は、各現地メディアあるいは投稿者個人の見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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