京アニ放火事件、死刑判決でも「決着」と言えない理由―華字メディア

Record China    2024年1月30日(火) 16時0分

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華字メディアの日本華僑報は29日、京都アニメーション(京アニ)放火殺人事件について「被告が死刑になっても『決着』とは言えないのはなぜか」との文章を掲載した。写真は京アニ。

華字メディアの日本華僑報は29日、京都アニメーション(京アニ)放火殺人事件について「被告が死刑になっても『決着』とは言えないのはなぜか」との文章を掲載した。

2019年7月に発生した京アニ放火殺人事件をめぐり、今月25日に京都地裁で開かれた裁判で、青葉真司被告(45)に死刑判決が下った。文章は「これは日本が平成の時代に入ってから30年余りで最大の殺人事件である。遺族の悲しみは時間によって徐々になだらかになっていくかもしれないが、この最大の事件を『決着』したと定義することは難しい。量刑が下されても、日本社会は依然として深い京アニの影響の中にある」と述べた。

その上で、まず「司法と感情の差」に言及し、「日本社会では犯人の弁護をすることは亡くなった命を踏みにじるものと考える傾向がある。弁護側は妄想性障害や責任能力の欠如などを主張したがいずれも全面的に否定された」と説明。「日本のネットユーザーたちは殺人を“障害”で包み込んでしまうのは言い逃れだと主張した。ある評論家は日本の司法はあまりに穏当過ぎて、“早く、正確に、厳しく”が足りないと述べた」とし、「放火で死亡した女性の遺族が判決を待たずに亡くなったように、いかにして司法によってより早く、よりよく正義を伝えていくのかは反省すべき課題だ」と指摘した。

次に、「個人の経歴から見ると、青葉被告は日本の孤独者の一人だった。虐待、不登校、窃盗、失業などが、最終的に作品が認められなかった後の妄想と殺りくに転化した。その人となりには既視感を覚える。それはまさに、日本社会の孤独という課題だ」と指摘。「小田急線刺傷事件にしても、北新地ビル放火殺人事件にしても、中野市殺害事件にしても、犯人の人生は孤独感に満ちている」とし、「社会学の専門家は孤独は個人の問題ではないと指摘する。内閣府の調査によると、強い孤独感を抱いているのは20~40代に集中している。日本はすでに科学的な研究を行っているが、強力な解決策がない限り、孤独から極端に走る京アニ事件を根本的に回避することはできない。犯罪を憎む前に、病を治して人を救うことが注目すべき深い課題になっている」と論じた。

さらに、今回の事件は「“サスペンス犯罪”という虚構への熱中が社会に与えるマイナスの側面を映し出している」とも言及。「青葉被告の放火は、世界的に有名な日本のサスペンス犯罪文学や映画、テレビ、ゲームなどから生まれたものではないかもしれないが、十数年前の秋葉原通り魔事件の影響が大きいとの分析がある(青葉被告本人が「他人事と思えなかった」と語った)」とし、「加藤智大元死刑囚は生来のオタクでネットやゲームに夢中になり、サスペンス犯罪がもたらすバーチャルな血なまぐささに快感を覚え、現実世界のストレスの中で最終的にそれを殺人のインスピレーションにした」とした。

文章は、「社会への不満はきっかけだが、仮想世界への熱狂的な執着の裏には偏った認識が潜んでいる」と指摘。「日本のメディアの中には、文学や芸術、ゲームなどに多く使われる犯罪というテーマが現実社会に絶えず“餌付け”されており、思想と価値観の誘導において日本政府の責任を免れない不作為の一つ、とする報道もあった」と紹介した。

その上で、青葉被告の治療を担当した医師が「どうすれば事件を未然に防ぐことができるのかを真剣に考えるべき」と語ったことを挙げ、「多くの“青葉真司”をいかにして犯罪に走る前に止められるかは、社会に課せられた重責。“ちり”のない社会は存在しないが、いかにして“防塵(ぼうじん)”に努めるかが、京アニ放火事件が日本に残した最大のテーマである」と結んだ。(翻訳・編集/北田

※記事中の中国をはじめとする海外メディアの報道部分、およびネットユーザーの投稿部分は、各現地メディアあるいは投稿者個人の見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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