変貌した世界各地のチャイナタウン、背景に中国の影響力増大と文化の浸透

Record China    2024年2月4日(日) 19時10分

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スペイン紙「エル・パイス」はこのほど、世界各地および自国の中華街(チャイナタウン)を紹介する記事を発表した。写真はスペイン首都のマドリッドにある中華街。

スペイン紙「エル・パイス」はこのほど、世界各地および自国の中華街(チャイナタウン)を紹介する記事を発表した。中国メディアの参考消息網は、同記事を引用して中華街を紹介する記事を発表した。以下は、同記事の要約だ。

19世紀には福建省や広東省などの多くの人が生活に追われて、アジアの他の国やオセアニア、北米、西欧、南部アフリカ、中南米、カリブ海地域に移住した。このような大規模な移民の波がチャイナタウンを作り上げた。今日ではシドニー、パリ、ブエノスアイレス、ニューヨーク、ヨハネスブルグ、横浜など、中国に行かなくても「中国旅行」ができるようになった。世界各地のチャイナタウンは、中国からの移民が到着した場所で建設した「特別バージョンの中国」と言える。

マドリード市当局は数日前、市内の一部をチャイナタウンとして整備する都市改造計画を発表した。チャイナタウンとしての特徴をはっきりと打ち出し、同時に秩序ある街並みを確保して、さらに歩行者サービス施設や緑地も設けるという。

ウェスタン・シドニー大学の研究者のイエン・アング氏は論文「チャイナタウンと中国の台頭」の中で、西洋社会におけるかつての「チャイナタウン」は、「(周囲から)完全に異質とみなされた集団」であり、「集められて疎外され」、それゆえに「蔑視や疑い」を受けた「スラム」だったと指摘した。チャイナタウンは新しい文化の享受や周囲との融和には関係のない、社会と都市からの隔離の典型例だった。

アング氏は、西洋におけるチャイナタウンの変貌に注目した。彼女は、チャイナタウンの新たな性格について、「もはや単なる移民の居留地ではない」「古い観念を新自由主義的に再構成したものであり、世界的な大国としての中国の台頭と密接に関係している」と主張した。そして新たなチャイナタウンについて、新たな移民の集積地であると同時に、「テーマ消費の中心地」であり、さらには「観光スポット」でもあると指摘した。マドリードで整備されるチャイナタウンも、このパターンを踏襲するものと言える。

現在も残っている最古のチャイナタウンは、西洋ではなくフィリピンのマニラにある。記録によれば、1594年以来存在した。当時のフィリピンの植民地支配者はスペイン人で、中国から来た商人や職人、さらにフィリピン人と中国人の混血児は、マニラのパシッグ川のほとりに住まわされた。スペインはマニラ以外でも、中国系移民を欧州系入植者や現地の先住民から隔離するため居住地を作った。

アジアの都市の中で一定の継続性があり、あるいは痕跡が残っている中華系住民のその他の集中居住区はジャカルタ、シンガポール、ベトナム中部のホイアン、横浜、神戸、長崎、ムンバイ、バンコク、コルカタなどにもある。特に横浜は、19世紀までの数十年間にわたり多くの広東移民を受け入れ、関帝廟などの雄大で壮観な宗教施設も作られた。

それに比べ、欧州のチャイナタウンは移民と不安定さと排斥の産物だった。最も悪名高いのはロンドンとパリのチャイナタウンだ。その悪評の理由には、大量の売春宿やアヘン館が存在していたこともある。そして第2次世界大戦後には、当時の英国植民地だった香港から新たにやってきた移民がチャイナタウンに定住し始めた。さらに1970年代からは、中国文化や中国文化の流行に後押しされて、ロンドンなどのチャイナタウンが活況を呈し始めた。新たなチャイナタウンの先駆者と見ることができる。

かつての「分離と隔離の場所」だったチャイナタウンは、現在では「テーマパーク」としての性格が強まっている。(翻訳・編集/如月隼人

※記事中の中国をはじめとする海外メディアの報道部分、およびネットユーザーの投稿部分は、各現地メディアあるいは投稿者個人の見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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