膠東半島の花餑餑、娘を思う母親の奮闘が実を結ぶ―中国

張燕波    2024年3月3日(日) 14時0分

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中国山東省の東部に位置する膠東半島。三方を海に囲まれ、丘陵地形が特徴的なこの地には、独特な地理的条件から農耕文化と海洋文化の両方がもたらされた。写真は膠東花餑餑の生産現場。

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中国山東省の東部に位置する膠東半島には青島市、煙台市、威海市がある。三方を海に囲まれ、丘陵地形が特徴的なこの地には、独特な地理的条件から農耕文化と海洋文化の両方がもたらされた。

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「膠東花餑餑」はまさにこうした文化を背景に誕生した食べ物だ。原料は収穫した小麦で、海の神を祭るのに用いられる。

膠東花餑餑は漢の時代にすでに文字によって記録され、宋代の文献には春節、中秋、端午や結婚、誕生日という祝いの日に用いられたことが記されている。膠東の人々は花餑餑によって人生の重要な日を祝ってきたのだ。

花餑餑

膠東花餑餑を作る中で生地の発酵作業は最も管理が難しく、かかる時間も長い。1990年代以降に生まれた若者でその作り方を学ぶ人はあまりいない。

威海市文登区在住の林紅(リン・ホン)さんは2014年、大きな利益を出していた広告会社の経営をやめて膠東花餑餑を生産する工場を立ち上げた。林さんの一人娘は4歳の時に脳血管狭窄(きょうさく)と診断され、ストレスを避けるため小学校はわずか数日で退学。「競争の激しい社会で学歴のない娘はどうやって生きていくのか」と考えた林さんは「もう一人産んだら」という親戚や友人の声を受け入れず、「娘はきっとよくなる」と信じて娘の将来のために早くから動き始めたのだ。

林紅さん親子

花餑餑作りを始めた林さんには「作るのに学歴はいらない。その上、娘は花餑餑が好きだ」との思いがあった。林さんは地元の年配の主婦に作り方を習って練習を繰り返し、ついに一連の生産技術を確立することができた。この10年間、林さんは自身が作るだけでなく配合や生産、販売方法を地元の人々に伝え、村の女性の増収に大きな役割を果たしてきた。

花餑餑

現在、林さんが暮らす文登区で花餑餑作りを手掛ける業者は200以上、生産額は年3億元(約62億6000万円)を超え、生産に従事する農村の女性は1万2000人に上る。林さんは事業で成功を収めた上、当時、林さんの心の最も多くを占めていた娘も成長した。幼い頃の病気は知らないうちに治り、林さんは安心して工場を娘に託せるようになっている。

■筆者プロフィール:張燕波

中国山東省威海市出身。1998年に技能実習生として初めて日本へ。2000年から日本留学。06~12年にイオン九州に勤務。13~20年に神戸大学大学院修士課程、博士課程で日本の古典文学を研究。21年に帰国し、現在は山東省青島市の私立高校で日本語教師を務める。

※記事中の中国をはじめとする海外メディアの報道部分、およびネットユーザーの投稿部分は、各現地メディアあるいは投稿者個人の見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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