人民網日本語版 2024年4月24日(水) 21時30分
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中国の東北地域にこんな小さな都市がある。50万人に満たない人口のうち、水着の生産に従事する人が3分の1に達する。
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中国の東北地域にこんな小さな都市がある。50万人に満たない人口のうち、水着の生産に従事する人が3分の1に達する。ここから販売された水着は世界で販売された水着の4分の1を占め、水着の年間付加価値額は約150億元(約3000億円)に上り、販売先は世界の140を超える国と地域に広がる。その都市とは、中国最大の水着生産拠点である遼寧省葫芦島興城市だ。
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興城市水着業界協会の柳菁副事務局長は、「世界で売られている水着の4枚に1枚は興城産だ。ロシアでは水着が100枚あれば99枚が興城で作られたものだ。興城には水着メーカーが4000社以上あり、年間付加価値額は150億元を超え、国際市場で25%以上のシェアを占める」と説明した。
興城の水着産業発展史は1980年代までさかのぼる。当時の興城にはレジャー・リゾート地や療養所がたくさん建設されて、観光客が続々と訪れるようになり、水着のニーズも日増しに高まった。
興城水着産業に従事した最初の人々は、観光客が着ている水着のデザインを模倣し、手作業で製品を作る家族経営の小規模作業場で、販売も自分たちで行っていた。資本とノウハウが十分に蓄積された後、自分たちのブランドと産業体系の構築を開始して、グローバル市場にも徐々に進出するようになった。
水着を最初に作ったのは誰か。その質問に答えることはもはやできない。柳さんによると、1986年に興城南関にある胡同(伝統的な民家が建ち並ぶ細い路地)で、劉氏姉妹(劉雪瑩さん、劉雪娟さん、劉雪艶さん)が女性用のシアサッカー水着を作り始め、万元戸(年収が1万元を超える農家・自営業者)がまだ珍しかった当時、一家で一夏に3000元(約6万円)余りの売り上げを達成した。90年代初めに、劉氏姉妹が共同出資による経営スタイルに移行し、興城初の水着企業となる興城遠航泳衣廠を設立した。
2002年には、後に水着産業の一大拠点となった斯達威水着スーパー産業パークの張東元会長が、興城にある小規模作業場で水着を作り始めた。創業当時は中国内外の有名ブランド向けの相手先ブランド名製造(OEM)を手がけ、製品は欧州や南米などに売られていた。張さんは、「会社の運営はますます順調になっていったが、自分たちのブランドがないので、企業としての発展はますます難しくなった」と振り返る。そこで2009年、企業のさらなる発展を求め、海外で事業を展開することを決定。約490万ドルで米INGEAR社を買収し、同社の複数のブランドのフランチャイズ権を手に入れた。主な市場は米国で、メキシコ、ジャマイカ、スペインなどでの代理販売業務も手がけるようになった。
当時、興城の複数の水着メーカーも海外企業の買収に乗り出し、国際合併・買収(M&A)により、生地の開発、パターン・デザイン、ブランド運営、優良顧客、市場ルート・ネットワーク、影響力・知名度などの強力なコアコンピタンスを獲得し、中国内外の市場でより大きく安定したシェアを勝ち取った。
統計によれば、現在まで、興城の水着メーカーの80%が独自ブランドを持ち、イタリアやフランスなどの国で20件を超える商標登録を行ったという。
95後(95~99年生まれ)の水泳産業の従事者・張嘉鋭さんは、父親の張東元さんの企業管理を手伝うため、英国に留学した。修士号を取った後、父親の会社で越境EC業務を担当している。張さんによると、同社は以前、ロシアからの注文が80~90%を占めていたが、市場の変化や越境ECの発展に伴い、今では注文の内訳は基本的に欧州と米国が半々だという。
水着の生産・販売規模が拡大を続けるのに伴い、常住人口約50万人の興城では水着産業に従事する人が16万人近くになった。
現在、興城には安定・成熟した職人陣が形成されており、水着の開発能力を備えた技術者は従業員全体の5%以上を占める。多くの企業が北京、瀋陽、大連、上海などの繊維・アパレル関連の大学と提携関係を結び、専門の人材を雇用するとともに、技術者も育てている。(提供/人民網日本語版・編集/KS)
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