2000年以上前の史書に記された古代の珍しい宝物「夜明珠」が初登場―中国

CRI online    2024年6月12日(水) 19時50分

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蘇家壟遺跡博物館で「明月の珠、夜光の璧」という玉と石の組み合わせが初めて公開されています。

中国中南部の湖北省荊門市京山(県レベルの市)にある、新たに建設された蘇家壟遺跡博物館がこのほど、正式に一般公開されました。中国古代歴史典籍「史記」などの歴史文献に記載されている「明月の珠、夜光の璧」という玉と石の組み合わせが初めて公開されています。

蘇家壟遺跡はこれまでに4回の発掘がおこなわれ、1100点以上の出土品があり、墓主は周朝時代(紀元前1046年~紀元前256年)の曽国の支配者・曽伯桼です。湖北省文物考古研究院の方勤院長は、「今回展示された『夜光璧』『明月珠』という玉器の組み合わせは、蘇家壟遺跡の曽伯桼の墓で発見されたもので、中国の歴史文献『史記』に記された『随侯之珠、夜光之璧』の珠、璧の組み合わせの記載と一致している」と紹介しました。この希世の宝物は春秋戦国時代の趙国(紀元前403年~紀元前222年)の美玉「和氏璧」と同じように名が知られ、「随候珠」とも呼ばれています。

この宝物は2000年以上の歳月を経ても、明かりに映えて、依然として青々と透き通った光を放ち、古代の職人の優れた玉の加工技術が示されており、大勢の来場者が足を止めて観賞していました。

また、東晋時代(西暦317年~420年)の典籍「捜神記」によると、春秋時代(紀元前770年~紀元前476年)に随国の国王の随侯が旅をした時、道でけがをした大蛇を助け、1年後に随侯は大蛇が白衣の少年に姿を変えて命の恩人に報いるためにわざわざ宝珠を捧げるという夢を見ました。目が覚めると、随侯はそばでこの宝珠を見つけました。この珠は昼は真っ白で透明で、夜になると月の光のように輝いていたので、後世では「随侯珠」と呼ばれています。

今回の展覧会には貴重な青銅器や製錬作業場跡が大量に展示され、810点以上の貴重な文化財が展示され、多くの展示品が初めて公開されているとのことです。(提供/CRI

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