Record China 2017年1月29日(日) 14時50分
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日本では知らない人がいない名店「陳家私菜」の社長である陳であるが、1988年に初来日した時は金もなく、知り合いもなく日本語も分からなかった。
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狂ったのではなく、信念
なぜ2回も人生がゼロに戻り、「金の茶碗」を捨てレストランの下働きになったのか。陳は日本に来てすぐに、日本社会には本来の中国料理のステイタスに対する大きな誤解があることに気づいた。
例えば中国の食文化である。日本で中国料理といえば、日本人の評価は「安くて、量が多くて、満腹になる」というものだ。陳はこれを悲しく思い、「われわれ中国が誇りとする食文化は世界に対する大きな貢献であり、4000年に幾度となく進化して高みに向かっており、選ばれた材料による美食の華だ。どうして日本では『屋台料理』のように扱われるのか」と悔しい思いをした。日本社会に長い間根付いていた中国の食文化に対する誤解を解き、材料を精選し、食と医療が高度に結びついた『医食同源』の中国文化を『屋台料理』と呼ばせないようにする、というのが陳の信念であった。
ヒルトンホテルの厨房で修業している間、「一挙一動で中国の顔をつぶさないように」した陳は、常に上司に褒められ、「中国人じゃなくて日本人みたいだ」と言われた。しかし、陳はこの言葉を「褒め言葉」とはとらなかった。彼は上司に対し、「勤勉、競争、手を抜かないのはわれわれ中国人の国民性で、中国人とはみな私のようで、私のような人間を中国人と呼ぶのです」と真剣に訴えた。
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