<コラム>33年ぶりの再会(後編):時代が移り、環境が変わっても…

小林 晶子    2017年4月11日(火) 13時50分

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実は、今回の訪中団参加が決まった時、33年前の母校訪問があまりにも突飛な発想に思えた。写真は筆者提供。

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私が持ってきたアルバムを見せると、いちいちウンウンと頷いてくれた。その中の1枚で当時大学が撮ってくれた白黒の集合写真(写真1左参照)を見せると、彼は自分も持っていると言う。しかもちょうど3日前にその写真を見たそうだ。「えっ、どうして?」と尋ねると、「ちょうど部屋の整理をしていたから」ということらしい。偶然とはいえすごい。私が顧さんに「33年間もずーと交通大学にいたのですか?どうして?」と尋ねると、「貴方たちが留学した当時は留学生が少なかったが、今や6000人もの留学生がいる。彼らのお世話をするのに留学生担当経験者が必要とされ、今に至っている」とのこと。そして、2016年は交通大学120周年にあたり、それに合わせて校内のいくつかの建物も新築したそうだ。

「新築」という言葉を聞くと私は急にそわそわしだした。以前泊まっていた宿舎や教室が、新築に伴い全部壊されてしまったのではないかと心配になったのだ。すると、顧さんは「壊されたものも多いが、残っているものもある」と言う。私が「是非見たい」と言うと、彼が案内してくれることになった。しかも、ちょうどその時そばにいたPCメンテナンス技師も同伴して、私たちの写真を撮ってくれると言う。

アルバムを片手に、新旧の建物が入り混じった緑あふれるキャンパスを、顧さんと私は時間をかけて回った。回ったところは、宿舎(写真4参照)、当時舞剣の発表をした体育館(写真3参照)、集合写真を撮った図書館(写真1参照)、かつて毛沢東像があった記念搭(写真2参照)、“飲水思源”の碑、留学生招聘所所長の執務室などなど。そこを巡りながら、顧さんは色々な話をしてくれた。

かつて私と一緒に留学した男性は、最近、上海駐在となり顧さんを訪ねて来た。二人で上海蟹を食べて談笑したが、しばらくして彼は天津に転勤になってしまった。交通大学は天津大学に次いで2番目に歴史のある大学だそう。1991年に天皇皇后両陛下が訪中した際、交通大学にも立ち寄られた。そしてその時撮った天皇陛下の写真を、微信(中国のSNS)で私に送ってくれた。

また、彼は今まで何度も日本に来たそうだ。「どこに行かれましたか?」と聞くと、北海道、東京、大阪、京都、佐賀の有田だそう。有田にまで来るとはなかなかすごい!しかも、また近々大阪に行く予定があるという。私は「今度来る前に必ず連絡してください」と言った。積もる話は尽きないが、そろそろお別れの時間。彼は私を地下鉄の駅まで送ってくれ、「今夜は一緒に貴女と食事をしたかったけれど、旧知の日本人との先約があり、どうしても抜けられない」と残念がっていた。そんなことは構わない。后会有期(またいつか会えるの)だから。私は最後に顧さんと固く手を握り合って別れた。出所:「孔子学院」日本語刊。

■著者プロフィール:小林 晶子

外国語大学で中国語を専攻。結婚後、夫の転勤で台湾へ。その地で出産を経験。その時受けたカルチャーショックが原動力となり執筆を開始。その後、中国大連へ転勤。合計7年過ごす。3年前よりガイド資格を取り、日本を訪れる中国人・香港人・台湾人・華僑のガイドとなる。

■筆者プロフィール:小林 晶子

外国語大学で中国語を専攻。結婚後、夫の転勤で台湾へ。その地で出産を経験。その時受けたカルチャーショックが原動力となり執筆を開始。その後、中国大連へ転勤。合計7年過ごす。3年前よりガイド資格を取り、日本を訪れる中国人・香港人・台湾人・華僑のガイドとなる。著書に「華ちゃんママの台湾・中国生活日記」「趙先生の気功ワールド」「中国語の宝石箱」「三国志のことがマンガで3時間でわかる本」など。

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