<日本で大成功した中国人>日本の不動産屋で感じた屈辱、日本の居酒屋で得たヒント

Record China    2017年6月11日(日) 18時10分

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「成功はコピーできる」。これは、日本で12店舗の中華居酒屋と1店の蕎麦居酒屋を経営し、年商14億円を誇る郭聯輝の言葉である。創業を夢見る在日華人たちが、この言葉に励まされ「阿里城」グループに加盟している。

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郭聯輝夫妻が困り果てている時、友人夫妻がやってきた。手にはぼろぼろの紙袋を下げていた。「店を開こうとしていると聞いて、わが家の全財産を持ってきた。800万円ある」。

800万円とは当時どんな金額であっただろうか。この友人夫婦はともに日本でアルバイトをしていたが、時給はわずか800円だったのである。

郭聯輝は借金を申し込むことなく、また友人も彼に借用証を書かせることなく、800万円の現金が提供された。この時、郭聯輝は何年か前にポケットに750円しかなかった中から500円を同僚に貸した自分を思い浮かべた。

■中華居酒屋創業の先駆け

「台湾風居酒屋阿里山」は郭聯輝にとって得難い二度目の開店チャンスだった。友人の800万円とあつい友情と信頼にはどうあっても背けなかった。彼は絶対に失敗できなかった。

「阿里山」を成功させるため、郭聯輝は話題のレストランを食べ歩いて勉強し、経営者講座に出席し、メニューを研究した結果、日本の居酒屋のやり方を取り入れることにし、「阿里山」を中華料理の居酒屋とした。各種の小皿のオードブル、炒め物をさまざまな飲み物と組み合わせ、お客の選択肢を増やし、自由に組み合わせられるようにした。独自の道を歩み始めたのである。

「阿里山」開店以降、郭聯輝は同業者内の不文律を重視し、悪性の価格競争をやめた。「私の店は排他的ではなく、同業者内の競争を避けている」。郭聯輝は勉強の期間中、日本の老舗の中華街を研究したが、店同士の競争は完全に価格競争であり、価格を押し下げていた。郭聯輝はこれを残念に思った。「価格を無理に下げればコストも圧迫されるから、味の低下は避けられない。そうなれば万里の長城を壊すのに等しい。中華街はわれわれ中国人の海外におけるシンボルのようなものなのに」。

その後、「阿里山」、「阿里城」、「阿里山城」などの店は連日満席、千客万来となり、生え抜きではない郭聯輝ができたのに、自分ができない道理はないと、彼の知り合いの多くも続いて中華レストランを創業した。

しかし、盛大にオープンした店の多くが静かに閉店していくのを見て、郭聯輝は黙っていられなかった。これらの創業の苦労や失敗に見舞われた人の中に、郭聯輝は昔の自分を見るようだった。

「日本で開業するには、パターンが必要だ」と郭聯輝は、華而実商事の中に、創業加盟本部を立ち上げ、開業を希望する在日華人に、自身に合う業態の店を探してやっている。また熟練の従業員を養成し、熟練の経験と理念を伝授している。開店から経営まで、本部ではマンツーマンで全プロセスを追跡サポートし、加盟者のために店を探し、開業プランを提供し、管理システムを運営し、技術訓練サポートをおこなっている。加盟店には開業後、不定期に専門指導員を派遣して巡回指導をおこない、加盟者が経営のなかで遭遇するさまざまな問題に随時対処し、徹底的に加盟者の後顧の憂いをなくしている。

彼は言う。「人は本来自分のためだけに生きるべきではない。分かち合うこともまた喜びだ」と。(提供/日本新華僑報・編集/内山

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