<コラム>秘密結社とマニ教

瑠璃色ゆうり    2020年8月19日(水) 23時0分

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秘密結社と言えば、皆さまは何を思い浮かべるでしょうか。資料写真。

■明教から魔教へ

マニ教が中国に伝来し、正式に布教を開始したのは則天武后の時代(684年)です。武后は、マニ教では女性の地位が高いことに着目し、自身の政権の足固めに利用しようとしたようです。

武后の後ろ盾を得たマニ教は、経典の漢訳や従来の思想を利用して漢人への布教を進めていきます。

手始めに「マニは老子の転生」と、道教の思想を借りて布教を試みましたが、余り上手くいきませんでした。そこで『摩尼光佛教』作り、今度はマニを仏陀になぞらえて布教を進めて行きます。こちらの試みは上手くいきました。もともとマニが存命中に行ったインド布教の際、教義を仏教にも寄せていたことも関係あるかもしれません。

そして、仏教や道教を取り入れたことで、マニ教は違う形で残ることとなるのです。

武后の時代に躍進したともいえるマニ教ですが、玄宗以降は一転して受難の時代を迎えます。

様々な宗教のエッセンスを自在に取り入れた教義は、「あやしげ」なまがい物という印象も持たせます。

結果、開元28(740)年、マニ教の布教は禁じられます。ただ、草原の覇者であり安史の乱平定に功績のあったウイグルが、マニ教を国教としていたため、かろうじて息をつなぐことができました。中国人への布教は禁じられたものの、胡人や在留ウイグル人たちが中国国内で宗教活動を行うことは認められたのです。そして彼らのために大雲光明寺(マニ教寺院)が各地に建立されます。マニ教は明教と呼ばれるようになり、景教、けん教とともに三夷教のひとつとなります。

しかし、840年代、ウイグルはキルギスに敗れて瓦解し、同じ頃に起こった武宗による宗教弾圧「会昌の法難」によって明教は壊滅的な打撃を受けます。

当時、マニ教はすでに西方の拠点を失っていました。そして唯一、マニ教を国教としていたウイグル、そして中国の拠点も失ってしまったのです。

マニ教として中国国内で「公式」に活動できたのはわずか140年ほどになります。しかし「明教」は無くなりませんでした。人々の間で変容し、「魔教」と呼ばれるようになるのです。

光の宗教が、“闇落ち”して魔教となった印象がありますが、果たしてそうなのでしょうか。

■仏教との融合

会昌の法難で中国からの撤退を余儀なくされたマニ教ですが、その後、しばらくして江南を中心に活動を再開します。

おそらくは、何らかの形で残ったマニ教徒たちが、江南に逃れ民衆の間に広まったのであろうと考えられます。

そして、マニ教――明教は、教義も民衆に合わせて変容していきます。

明教は、最終的にどうなっていったか――民衆反乱の中心的役割を担ったことは最初の方でお話ししていますが、もうひとつ、注目して欲しいことがあります。

それは、仏教との融合です。

マニ教寺院でもっとも最後まで残っていたものが泉州にあるのですが、最終的には仏教寺院になってたことが確認できています。

キリスト教グノーシスの思想がベースだったマニ教が、最終的は仏教の一派となって終焉を迎えるわけです。

ただ、もともと仏教思想も取り入れてあり、中国に入ってからさらに仏教に寄せていった宗教ですから、これはさほど不自然な流れではなかったはずです。

そしてこのマニ教が仏教に取り入れた結果、何が起こるのでしょうか。

それは、現世の否定と来世への希望、そして救世主を待望する信仰が取り入れられることとなり、それを実現しようと動く者たちが登場するのです。

■戦う理由

マニ教では、今、私たちのいる世界を否定しています。私たちは、ここにいるべき存在ではなく、帰るべき世界が他にあるのです。

しかし帰り道は閉ざされています。私たちは暗黒の世界に沈んだまま、延々と転生を繰り返さなければなりません。

そして世界の終わりの日になってやっと、救い主が私たちを本来いるべき世界へ連れて行ってくれるのです。

この考え方、はっきり言ってキャッチー。万人受けする思想です。

どんな時代でも、みな、形は違えど「生きにくさ」を感じているはずです。今、この時、コロナウイルスなんて得体の知れないものに翻弄されている私たちも「生きにくさ」を感じていませんか?

そして、生きにくいのは当然なのです。だって、この世界は「暗黒」で、私たちがいるべき世界ではないからなのです。

では、救い主が現れるまで黙って待っているべきでしょうか?

否。

抗うべきなのです。

戦って、戦って、暗黒に打ち勝たねばなりません。救い主が現れるまで、そして救い主が現れたら共に、戦い続けるのです。

「喫菜事魔」「魔教」はこの考えを原動力に、民衆反乱の中心となったのです。そして明教が潰えたあとは、その後継宗教に受け継がれていくこととなります。

■明教の後継

明から清にかけて、多くの秘密結社が活躍しますが、そのほとんどが宗教系の結社でした。その中心となる宗教が白蓮教と羅教です。

中でも白蓮教は、弥勒経と明教が融合して南宋の頃に発生した、まさしく、明教の後継というべき宗教です。

白蓮教では明教の終末思想を受け継ぎ、「無生老母」という母なる存在が、終末の時に救済に現れると言われていました。他の“救世主”を待望する宗教に比べ、母性が強調されているのも特徴です。

また、白蓮教は多くの女性が活躍していました。これも、明教の系統の証であるかもしれません。

この宗教は、清代中期に大規模な反乱を起こしたことでも知られていますが、さかのぼって元を滅ぼした紅巾の乱も、白蓮教系の結社が起こしたものです。

明教の後継宗教が起こした反乱で、建国されたのが「明」。とすると国号は明教に由来するのかと勘ぐりたくなりますが、残念ながら、関係は無いというのが主な説となっています。

もうひとつの羅教は、明代中期、羅祖(羅清)が始めた宗教で、中国二大秘密結社のひとつ青幇のもとにもなっています。

この羅教、最初は白蓮教を批判する立場にあったのですが、時代が下がるにつれ、その思想を取り込んで白蓮教と同じ「無生老母」を信仰するようになります。つまり終末と救世主の到来を、この宗教も信じるようになったのです。

つまり、明・清代の民衆を支え、秘密結社を生み出した宗教の根底には、明教の終末思想が受け継がれていたと言うことになるのです。

■「扶清滅洋」

天地会、哥老会など清代末期に活躍した秘密結社は数多くありましたが、その中で最も有名なものが義和団の乱を起こした義和拳教です。

義和団の乱について話し出すと、これもまた長くなる――ということで、個人的に興味深いなと思ったことを中心に。

義和団の乱の発端は、第二次アヘン戦争で締結された不平等条約(天津条約)を楯に推し進められたキリスト教布教です。

敗戦国である清の弱みにつけ込んで、西欧のキリスト教会が強引ともいえる布教を行っていきました。そして、異文化の急激かつ強引な流入に危機感を覚えた民衆には「反キリスト教」の感情が生まれます。

反キリスト教、反教会の気運が高まる中、1891年5月の蕪湖を皮切りに、各地で暴動が起こるようになります。最も大きな反乱を起こしたのが義和団です。「扶清滅洋」を掲げて蜂起した義和団は勢いのまま北京を占領し、結果、鎮圧のため西欧列強と日本の八カ国連合軍が出兵することになりました。

白蓮教徒の乱では、滅ぼすべき相手は清朝でした。しかし、西欧諸国がどんどん中国に進出してくると、敵だった清朝は助けるべき味方に変わりました。

敵の敵は味方ではなく、「敵の敵は敵で、もともとの敵は味方」となったわけです。ややこしい。

しかも、新たな敵は、ルーツをずっと辿っていくと、「ひいじいちゃんがいとこ同士」ぐらいの関係なわけです。白蓮教のもとの明教のもとのマニ教の教祖は、原始キリスト教の一派出身ですから。ああ、これもややこしや。

敵って、最初からあるものではなく、自らが作りだすものなんだろうかと考えたくなります。

そして「扶清滅洋」を掲げていた秘密結社の奥底には、滅ぼすべき「洋」の要素があった、という部分を興味深く感じています。敵は自らの中にもあった、ということです。

物事をちょっと掘り下げてて分解してみると、思わぬところで思わぬものとつながっていたりする、そんなつながりが面白くて、そんなつながりを紹介したくて、コラムを何本か書かせていただきました。(諸事情により前回からかなり間が開いてしまいましたが…)

それも、今回で最終回。お読みいただき、ありがとうございました。後会有期。

■筆者プロフィール:瑠璃色ゆうり

東京出身。立正大学文学部史学科卒(東洋史専攻)。ライターとしての活動は2006年から。平行してカルチャースクールスタッフや広告代理店で広告営業なども経験。2017年よりライターのみの活動に絞る。現在は美容やファッションからビジネス関係まで、幅広いジャンルで記事を制作している。張紀中版射雕英雄伝と天竜八部を観て修慶(シウ・キン)のファンになり、修慶迷として武侠ドラマファンの間では知る人ぞ知る存在に。現在は趣味にて小説も執筆中。

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