ロシアがウクライナ侵攻、「米国はキューバ危機から学ばなかったのか」とも思ってしまう

如月隼人    2022年2月28日(月) 23時20分

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ロシアの行動は許せない。しかし「米国などはキューバ危機から何も学ばなかったのか」とも思えてしまう。写真はキューバ危機の当事者の1人だったキューバのフィデル・カストロ首相(肩書は当時)。

もちろん、ロシアの軍事行動は許せない。まして、世界平和を維持する最も重要な役割りを持つ国連安保理常任理事国が他国を軍事制圧する挙に出たことは、どんな理屈をつけたとしても容認できるものではない。しかし、私はこのような状況になるまでの、米国などの外交の稚拙さをも強く感じてしまう。特に「1960代に世界を滅亡の寸前まで追い詰めたキューバ危機から何も学ばなかったのか」と思えてしまう。

■「キューバ危機」とは何だったのか、米ソ指導者はどのような決断をしたのか

キューバ危機は1962年に始まり、翌63年まで続いた。カリブ海の島国であるキューバは、02年にスペインから独立した後は米国の「半植民地状態」になった。しかし59年にはフィデル・カストロが率いるキューバ革命が成功し、社会主義国としてソ連が率いる東側陣営に属することになった。

そしてソ連はキューバに核ミサイル基地を建設した。米国が察知したのは62年だった。当時のソ連には自国領内で発射して米国の主要都市に着弾させられるミサイルはなかったとされる。しかしキューバからならば可能だ。しかも、発射から着弾までの時間が短いので、米国からソ連本土に向けての報復の核ミサイル発射は困難だった。これでは米ソの「相互恐怖による平和維持」が崩れてしまう。

米国のケネディ大統領は軍艦などを動員してキューバを海上封鎖した。世界は核戦争勃発までの「紙一重の一歩手前」の状態になった。米ソの脅し合いはしばらく続いたが、ソ連を率いるフルシチョフ書記長は結局、キューバから核ミサイルを撤去した。

■「キューバ危機」から、どのような教訓を読み取らねばならないのか

「キューバ危機」から見えてくるものとは何なのか。まずは、どの国にとっても「絶対に譲れない一線」があるということだ。国家とは、その「一線」を守るためには、戦争をも辞さないことになる。つまり、自国の将兵や一般市民の血が流すことになっても、やむを得ないと判断する場合があるということだ。

もちろん、「絶対に譲れない一線」が、後になってみれば「本当にそうだったのか」と疑問視されることはある。しかし目の前の問題としては、「その国が今、どう考えているのか」を正確に判断することが必要だ。もちろん、相手国が考える「絶対に譲れない一線」が、妥当ではないとしか思えないこともある。そのような場合、長期的努力としては相手国に考えを改めさせることも重要だ。しかし目の前の問題として、まずは相手国が「今、どう考えているか」を的確に理解せねばならない。

キューバ危機当時のケネディ大統領は、米国にとって「キューバには核兵器をおかせない」ことが、絶対に譲れない条件であることを明示した。フルシチョフ書記長は米国の決意を理解した。そして、自国がそのまま強硬に突き進めば、全世界規模の核戦争が勃発する可能性が高いと判断する能力があった。だからこそ、キューバから核兵器を撤去した。

■直接対決を回避するための「緩衝地帯」という知恵

では、ウクライナ情勢はどの様に進展してきたのか。まず、米国と欧州西側国家が結成する北大西洋条約機構(NATO)はソ連崩壊後、東欧諸国などを次々に追加してきた。そして、ロシアと国境を接するウクライナもNATO加盟を申請した。NATO側には慎重論も根強く、ウクライナの加盟は実現していないが、ウクライナではロシアの圧力に対抗するために、西側への接近を目指す傾向が強まった。

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