<在日中国人のブログ>私が知り合った、「2000年の神秘の国」を世に知らしめた日本の和尚

呂 厳    2019年4月20日(土) 21時20分

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しばらく前、「中国新疆36年国際協力実録」という題の書籍が私の仕事場に郵送されてきた。日本人僧侶の小島康誉さんからだった。

1987年には、「日中友好キジル千仏洞修復保存協力会」を立ち上げた。そして千仏洞の保護事業を推進するために、日本各地を駆け回った。小島さんは当時を振り返り、「多くの人はキジル千仏洞のことを知りませんでした。寄付金集めには苦労しました」と語る。それでも小島さんは、1億円以上の寄付金を集め新疆政府に贈呈した。キジル千仏洞は2014年に世界文化遺産となった。

小島さんは新疆ウイグル自治区文化庁の幹部職員からたまたま、ニヤ遺跡のことを聞いた。ニヤ遺跡とは、前漢(紀元前206-8年)の歴史を記した「漢書」に記載がある精絶国の遺跡だ。場所はアジア内陸部のタクラマカン砂漠。往時も小さな国で、世帯数は400戸余りで人口は3000人余りだった。しかし、シルクロードの要所にある重要な街だった。「商人が集まり、人々は富み繁栄した」と言われたという。しかし5世紀までには砂漠の中に蜃気楼のように消えてしまった。


「精絶国」が歴史の舞台に再び登場したのは2000年近く後の1901年になり、ハンガリー出身でしばらく後に英国に帰化する考古学者・探検家のオーレル・スタインが、古代の木簡数片の出どころを調査したことがきっかけだった。スタインは荒涼たる砂漠のただ中で、意外にも規模の大きな遺跡を発見した。住居跡が多くあった。スタインは100キロメートルほど南の尼雅(ニヤ)という街の名にちなみ、この遺跡をニヤ遺跡と名づけた。しかし、彼の行為は少なくとも現在の視点から見れば盗掘だった。多くの貴重な文化財が欧州に運ばれていった。しかしスタインの活動により、ニヤ遺跡は大いに注目されることになった。国際社会の各界は、大発見に沸き立った。

そしてスタインは、ニヤ遺跡のある仏塔近くから漢字が書かれた一片の木片を発見した。その木片にははっきりとした墨痕の隷書で「漢精絶王承書従事」と書かれていた。さらに考証を続けた結果、ニヤ遺跡は「漢書・西域伝」に記載のあるシルクロード南道の重要なオアシス国家、「精絶国」の遺跡と確認された。

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