中国の科学技術はノーベル賞に近づいている―濱口道成(科学技術振興機構理事長)

Record China    2019年5月9日(木) 15時30分

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変容著しい世界の科学技術を見据えながら、日本のイノベーションを推進先導するJSTの濱口理事長にその抱負を語っていただいた。

赤崎(勇)・天野(浩)の青色発光ダイオードの研究も、20世紀中に実現不可能だと言われていました。ですから、予算がなかった。初期の頃に使っていた機械は全部手製です。よその教室が捨てた機械をもらってきて、自分たちで機械をつくるんです。それでノーベル賞をとりました。とったきっかけになった研究は、天野さんがまだ25歳のときのものです。修士(マスター)の時代に窒化ガリウムの結晶を作りました。25歳のときに、彼は1500回も失敗しています。毎日毎日失敗して、でも諦めなかった。そしてpn接合という、いわゆる光るものにしたのが28歳のときです。なぜ「適齢期」があるかというと、若い人というのは恐れを知らない、失敗してもくじけない。これが大事なことです。

ただ、赤崎さんという偉大な先生がいたからこそ、天野さんはずっとそれをやっていけました。赤崎先生は窒化ガリウムが大事だというところで、全然ぶれなかった。大先生がいて、恐れずに突進していく人がいるという、この組み合わせが、名古屋大学の場合、うまくいっていたのです。失敗を失敗だと言える師弟関係が大事で、これはこうあるべきだと言ったら、科学は止まります。

<中国では「メディチ効果」が始まっている>

――ところで先生は、現代の中国の科学技術をどう見ていますか。研究開発において、日本と中国の近いところはどんなところですか。

濱口:中国の科学技術の現状は、データを見ますと、非常に勢いがあり、イノベーションの活気にあふれています。これはすばらしいことで、ノーベル賞に近づいているとも言えます。

ルネサンスがどうやって生まれたかという研究に「メディチ効果」というのがあります。それはどういうものかというと、メディチ家がイタリアのフィレンツェにヨーロッパ中の天才(レオナルド・ダ・ヴィンチもその一人です)を集めて、狭い地域でいろんなことを競わせたのです。その中から新しい考え方や、科学の在り方みたいなものが生まれて、ヨーロッパはキリスト教社会から近代社会へと移行していったのです。中国では今、上海、深圳、香港などのエリアが、そういうような形を担っているように思います。中国の新しい時代をつくっていくエンジンになってきています。

ただ、その先にどういう豊かさの価値観を描いていくかという、もう1つ別の問題があります。最先端技術だけをずっと追っていったのが、一時期の日本でした。確かに最先端技術はたくさん生まれましたが、決してそれだけで、30年前、40年前と比べて幸せになったかというと、ちょっと分からない。

現代社会というのは、昔のドイツ語の言葉を使うと、ゲマインシャフト(共同社会)からゲゼルシャフト(利益社会)への転換です。つまり、伝統的な地域コミュニティーである農村社会から、都市の生活に移ってきて、個人は、自分の生まれたところや家族、近隣の中で自分というものができてくるのではなくなった。どこかの大学に入って、どこかの会社に入って、何をやっているかでその人の価値が決まってしまいます。自分の生まれてきたバックグラウンドを全部捨て去って、個人として生きていく世界に入っていくわけです。

近代的な自我としては、それは実はわれわれのある種の概念的な哲学的な理想だったと思います。だけど、この東京では、個人はかなり近代社会での孤独感を深くしている部分があります。それは北京を見ていても感じることです。この問題を、もっとみんなが冷静に議論をしていかなければいけません。


<日中の交流は顔と顔が見える形で>

――現在の中国と日本は経済の面でともに発展していますが、科学技術でもともに発展することはできるでしょうか。

濱口:もう少し顔と顔がつながるような関係をつくらないといけないと思います。1つの変化が2つの問題を生み出しているからです。1つの変化というのは、中国の発展が非常に早く、量的にもすごい量が動いていることです。上海も、最初に行った頃は地下鉄が1本しかなかったし、高速道路もなかったけど、今はすごいです。北京も最初に行ったときは、車が少なく自転車がいっぱい走っていました。真っ暗になってもみんな自転車を走らせて、本当に働き者だなと思い、印象深かった。その状況からずっと経って、今や世界最先端の科学技術開発ができるところまで来ています。

このギャップがどういう問題を生み出しているかというと、1つは古い日本人たちは、古い中国の記憶のまま、今も中国を見ているところがある。だからズレがあります。それから、若い中国の人たちは、日本と何かをやってきたという体験があまりなくて、アメリカを見ています。この2つのズレが、いろんな意味で中国と日本が一緒にやることの難しさになっています。それを越えるには、やはり顔と顔が見える形で、もっといろんな交流をするということが必要ですし、できる時代になってきていると思います。(提供/人民日報海外版日本月刊)

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